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撫子がその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ(万葉集巻三/四〇八)
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続きー。
切ない通り越して痛い。


+ + + + + + + + + +
 意外にも、待ちうけていたのは神代家当主ではなかった。その男は、笑顔を浮かべてあきらを迎え入れた。あきらは入ってきた姿勢のまま固まった。
 人間離れした麗人は、帯に差していた扇子を引きぬいて、あきらを招いた。
「雪都さま?」
「うん。こんにちは。あきらちゃん」
 もう一度花のように微笑まれて、あきらは思わずまじまじと彼を見つめてしまう。
 細く艶々とした黒髪は耳の下で緩く一つに括られて、長いまつげに覆われた瞳は黒に紫を優しく溶かしたような色合いだ。おまけに肌の色は白く、陶器のようになめらかで、唇は花弁をそっとのせたように淡く色づいている。女性といっても通じるぐらいのあでやかな美貌なのだ。
 これで、雪路の兄ではなく、父親というのだから驚きである。あきらは息を吸い込んで、三つ指をついて頭を下げた。
「お呼びとうかがって、まかり越しました」
「ありがとう。綺麗な着物だね。似合っているよ」
 雪路よりも一層あでやかな風貌で言われると、心臓に悪い。あきらはどくどくと脈打つ心臓に鎮まるよう言い聞かせながら口を開いた。
「お加減は、よろしいのですか?」
「ああ。大丈夫。今日は気分が良いんだ。父上から、あきらちゃんがきているというから、久しぶりに会いたくなってね。お話は私が代わりにすることになったんだよ」
 なんだろう。聞きたくない。
 あきらはどんどん冷たくなっていく指先を必死ににぎりこみながら、言いようのない不安と闘った。
 その間にも、雪都はぽつぽつと言葉を重ねていく。
「…12歳になったんだね。あきらちゃん」
「はい」
「…いつも雪路を守ってくれてありがとう。あの子があまりにも強い見鬼の才を発揮した時、父親として何もできないことがふがいなく思ったけれど、君と引き合わせることができてよかったよ」
 相変わらずの回りくどい言い回しは慣れているはずなのに、なんだか今日は心がざわついて仕方がない。とてもではないが、ずっとこんな調子では、疲れてしまいそうだった。
「あの」
 咄嗟に口を挟んでしまってから、あきらは激しく後悔したが、そのまま続ける他に道はなかった。
「…そんなこと言いたいのじゃないのでしょ? 雪都さん」
「………」
 雪都は押し黙って、それから庭へと視線を投じた。
「君は、水の性を持ち、雪路に仕えてくれている。あらゆる禍事を流し、そして幸いを呼びよせる。…時には激しい感情を受け入れて、水に流す。それが水の乙女だ」
 滔々と語る雪路の横顔を、そらさずにあきらは見詰めた。
「……だけど、水の乙女は、自身の感情を水に流すことはできるのだろうか」
 ふいに瞳があって、あきらはたじろいだ。「これから話すことは、二人の秘密だよ」と前置いて、雪都はまた視線を遠くにむけた。
「霊力は、血の濃さに比例する。…あの子の力の強さ、身体の脆弱さ。不思議に思ったことはないかい?」
 あの子とは雪路のことだ。それくらいはすぐにわかったが、当たり前のことを、もう前から当然だったことを並べ立てらえれて困惑した。
「…それは、御生母さまの体質を受け継いだからだと」
 あきらが、小さい頃、雪路の祖父と自分の祖父から聞いた話をそのまま口にすれば、雪都はほのかに微笑した。
「あの子の母親の体質はね、父上の妹君から受け継いだものなんだよ」
「…妹…?」
「先の神代の巫女、といえば話は早いかな」
 頭の中で反芻して、あきらは瞳を瞬かせた。親戚筋から能力を受け継ぐのはよくあることだ。
 それなのに、どうして雪都は苦しそうな顔をするのだろう。
「これが、父上の妹君、千雪さんの写真だよ。それから、こちらが深雪の写真だ」
 そういって渡された写真を見て、あきらはさっと血の気が引くのを感じた。
 深雪の風貌はおぼろげにしか覚えていないけれど、雪路とそっくりだった。写真の中で、深雪は穏やかな笑みを浮かべている。そして、先代神代の巫女の千雪も同様に、微笑んでいた。身にまとうのは巫女の装束。
 雪都の言うとおり、千雪の顔貌は深雪に瓜二つで、体つきまでもがそっくりだった。
 あきらが声も出せないまま写真を凝視しているのを見つめながら、雪都は続けた。
「そう。深雪は、千雪さんの娘だよ」
「……だって…それじゃあ…雪都さんの…」
「異母姉ということになるね」
 穏やかに語られるには、あまりにも重い真実に、あきらはニの句が継げなかった。
「霊力…及び異能力は血の濃さに比例する。………雪路は、あの子は桁外れな神代家の血が流れている。それ故、一族の咎を、濃く受け継いでしまった」
「……」
「このままでは、二十歳まで生きられないだろう」
「…そんな、」
 出生の真実を知ってしまったとて、あきらの幼馴染の雪路は雪路のままだ。なにもかわらない。大事な大事な幼馴染だ。
「あたし、もっと頑張ります。雪路が怖いものを見ても、流せるよう…」
「…今まで通り、お願いするよと言いたい。だけど、もう少し話を聞いてくれるかな」
 雪都はふつりと黙った。恐ろしいほど長い間だった。あきらは逃げ出したくなるのをこらえて、必死で唇をかんだ。
「今度は、君の身体に流れる血のことだ」
「!」
 どくり。とまた心臓が嫌な音をたてた。
「…あきらちゃんは、もう出生の秘密は知っている?」
「……、はい。お母さんは、人ではない…海から来た、人魚だって……」
「………その血は雪路にとっては、毒に等しい」
 今度こそ、足元ががらがらと崩壊していくような、そんな錯覚に陥った。
 色を失ったあきらを痛ましげに見つめながら、雪都は続ける。
「君や、君のお母さんがいけないんじゃない。そこは分かってほしい」
「……は、い」
「さきほど、雪路の血は桁外れに濃い、と言ったね。そして、君の中に流れる血は、この、天地(あめつち)のものではない。…どうしても、両者は相いれず、お互いを食い荒らしてしまう」
「…そん、な……」
 あきらはすっかり声がかすれてしまっていることに気付くが、そんなことに構ってはいられなかった。
「……君が女になったからには…、話しておかなければならないことだった」
「…女になったら…?」
「血を通わせるというのは、情を交わすということ。男女の仲になるということだよ」
 どこか他人事のように聞こえるそれを必死に呑みこんで、かみ砕いて、理解した。
「つまり…雪路と男女の仲になってはいけないということですね」
「…聡いね。君は」
「いいえ。あたしたちは、まだただの幼馴染だけど…、年が経てば身体も変わる。否応なしに、性別の違いがうきぼりになっていきます。そうなる前に、お話していただけてよかった」
 あきらはてきぱきとした所作で頭を下げた。
「……これからも雪路の守り手として傍にいることを望むか否かを、この機会に改めて考えてほしい」
「はい。…後日、返答しに参ります」
 退室したあと、あきらは黙々と歩いた。歩いて歩いて、後ろから青玻が呼びかけるのにも気づかずに下駄をはいて外に出た。
 雪都は、言葉を和らげてあきらに伝えたけれど、本当のところは、違うのだろう。
 当主だったならば、もっと直接的に言ってきたはずだ。自分が異形だから、雪路の傍にいるのは気に食わぬと。去れと。
 歯を食いしばって、ひたすら歩きながら、あきらは心の中で泣いた。
 外では絶対に泣かない。泣くのは布団の中だけだ。
 絶対に、泣かない。

 

 たとえ神の眷属といえど異形は異形。
 異形の血は神代本家にはいってはならぬ。
 ……神代本家の世継ぎはな、定められた一族以外の血を受け付けぬ。
 父親も大人しく三の姫をもらい受けてればよかったものを。
 そなたはおなごとしては雪路を幸せにはできぬ。おなごとして雪 路と通じてはならぬ。
 通じれば雪路はすぐに死に絶える。

 ゆめ忘れるな。それはそなたも同様ぞ。
 雪路と通じればお前は心を砕かれ光を失うだろう。

 それでも雪路の守り刀となるならば、ここに契約を。
 その胸に秘めた感情を捨てなければならぬ。


 これらを飲めるか人魚の娘。海と陸にさすらうさだめの者よ
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